相手を認めるという豊かさを ー (財)日本水泳連盟元外国委員長 東島 新次 さん

 表彰式でよく選手を見ていると、正しく「勝つ」ということは、負ける者がいるからこそ成り立つことだと改めて気付く。勝って天狗になるのもわかる。しかし、どんな相手も認めるべきではないだろうか。ここ最近の若者を見ていると相手を認めるということがなくなってきているように感じる。
 私たちの世代と、今の世代では環境も変わってきた。インターネットやITの普及と共に誰とでも簡単に繋がることができるようになった。一昔前は、海を越えた外国の人と連絡を取り合うには、今のようにメールを送って、5分、10分で返事が返ってくるということはまずなかった。手紙を送って、返事があるまでに1ヶ月、いや、長いときでは2ヶ月はかかったことを覚えている。今よりも世界は遠く感じられた。しかし、私の場合は返事を待つその「期間」によって、海外へ行きたい気持ちが大きくなっていた。数ヶ月に一回返事があると、着実に世界に一歩、また一歩と近付いているという実感があった。
 全てが全て、良かった訳ではない。人伝いに人と会うと「あの人が知っている」「この人の方が詳しい」と言われ、あちらこちらと盥回しにされたこともあった。当時はとても悔しい思いをしていたが私の場合はそれがバネになった。どんな相手も認めることができたからだ。
 今は携帯やインターネットを使って、簡単に人を検索できる。しかし、対話と言う上でのコミュニケーションは確実に減った。私は「人と話すこと」にこそ、相手を認めることができる大事な要素が含まれると考える。相手を理解する上で自分を理解してもらう必要がある。
 今の若い人たちは、自分をアピールすることがない。自慢話をしろと言っている訳ではない。無言で自分が伝えたいことを受け取ってもらえ!、と言っている訳でもない。これからは自分の考えを持って、チャレンジすることが求められる。今も、昔も変わらないことは、トップにはいつも、自分の考えを持ち、それを主張し、自我を出してきた人たちが結果として、トップに立っている。
 人を認めるということはそんな簡単なことではない。しかし、人を認められることで私は心が豊かになると考える。今の若者たちには相手、人を認めるという豊かさが欠けているように思う。
 まずは自分。それから、周りにも共有したい。

■取材■
 慶應義塾大学/島