留学生から見えた幸せのカギ

日本の大学に通う外国人留学生に突撃インタビューをした。場所は渋谷。年齢は20〜25歳の外国人留学生。彼ら彼女らが見る日本や働く価値観を探った。一緒にインタビューに携わったのは4名。早稲田大学生のチャーリー君、カイ君。慶應に留学しているケイティさんと私の4人でインタビューをした。質問した内容は以下の通りである。

 

日本にいる理由 日本に来た理由 仕事 その他
イギリス人(女性) インターンシップで なんとなく。日本を探索中 学生 日本はファッションでは魅力的でその分野でのインターン
ドイツ人(女性) 仕事で、今は日本が多い。 モデルの仕事で モデル 日本人はまじめ、しっかりしている。でも、いろんな人がいる。夜になると、気さくな人が増える。何のために働くか。それは家族から独立して生活するため。自己責任である。モデルの仕事は見た目よりも厳しい。生活するには難しい。しかし、自分自身に自信を持ってさえいれば、やり過ごせる。なんとか生きていける!
ドイツ人(男性) 交換留学生 興味が合って 日本はドイツの学生と比べると消極的だし、コミュニティが少ない。飲み会で将来、仕事、政治の話をしない。開放的でない。区分がある。仕事や遊びの分けた付き合いで、その中でしか会話をしない。就職はヨーロッパでする予定。
カナダ人(女性) 英語の先生やりながら大学に通ている。 面白い。アジアに行きたいけど汚い。日本はキレイだから。 学生 将来はパリに住みたい
アメリカ人(女性) 留学生 少女漫画の影響と、ジェットプログラム 学生 日本に来て、自分は何がしたいかよく考える。好きなことは仕事にしない方がいいのじゃないか。好きを仕事にすることに戸惑いを感じることが多い。好きな通訳の仕事をするかどうか悩んでいる。日本という国は日本語勉強するにはもってこい。日本人が英語を話せないとは思えない。外国に行けば話せるようになるよ。キャンパスの外で学ぶことの方が多い。
トルコ人 明治4年生から 不明 NTTで働く 就職活動は辛くて本当にひどかった。でも、トルコに帰るつもりはない。日本の問題は外国人に厳しいところ。
スウェーデン人(男性) 専門学校生 面白い。欧米とは全く違うから 学生 外国人はそんなにバイトしない。学費もかからないし、比べて日本のバイトは簡単にできる。
オーストラリア人(男性) ワーキングホリデー 彼女が日本人で追い掛けに来た フリー 働く上で、自分の気に入る仕事を見つけることが大切
オーストラリア人(女性) 留学生 高校の姉妹校で来た 学生 ジャニーズが好き。ジャニーズ事務所で働きたい。ライバルは韓国K-POP集団。でも、今は貿易関係の仕事も考えている。今は、留学生なので、もう一度慶應を一から受け直して、入学しようと思っている。現在剣道部に所属している。
韓国(女性) 留学で 日本が好きだから 学生 仕事に対するウエイトが重い。根性はあるけど、我慢していることが多そう。理想が高い。日本でしかできない仕事をしたい。韓国には新卒採用の概念がない。

 

インタビューを通して、外国人は日本人のような枠組みは特になく、仕事も遊びも同僚と友人との関係もフラットな付き合いであった。日本人とは違い仕事が全てではないようだ。とはいえ、仕事も遊び友人付き合いも全てに対して全力投球をしている。全てに力を注げるのは本当にパワフルである。それができるのはONとOFFの切り替えが上手だからではないか。そもそも「キツイ、大変」という捉え方が違う。外国人は日本人と比べて自分がチャレンジして失敗したら、違う方法をまた考えればいいと、割り切りができる。それに対して、日本人は失敗を本当に重く受け止める。責任感が強いのか。失敗が許されないという考えが先行するが故なのか。一度失敗すると中々前に進まない。答えのない問題に対して、手が動かない。ある留学生が、日本人は目標に向けてのプロセスがカタイ。諦め悪いのは根性があるとも言い換えられるが、それがストレスをためる原因になるのではないか。と言う言葉が妙に刺さった。

少なくとも、今回インタビューした留学生の多くの人の考えに「働く」という基準の前提に自分の素直な「幸せ」「やりたいこと」があった。また、日本人に比べて自立精神が強い。ある留学生が言っていたが、親にはいつも「自分の人生は自分で決めろ」と言われるそうだ。ここにこそ日本人にはない自信と覚悟があるように感じたインタビューであった。

慶応義塾大学/島

瓦礫撤去や物資配達じゃないボランティアって?ー僕たちは被災地でなにができるのかー

時間の流れは早いもので、東日本大震災から半年が経過した。気づいたら2012年3月11日なんてこともあるだろう。特に資格を有していない僕たちが被災地に訪れた場合、なにができるのだろうか?

 

Good Design Award2011では、ボランティアスタッフや被災された方々が自分にできることを表明する「できますゼッケン」が選出された。医療介護、言語、専門技能、生活支援などできることをゼッケンに書いて誰からも見えるようにするのだ。筆者の感じたことであるが、被災地で何ができるかを宣言することは最重要項目である。

 

NPO事業サポートセンターの主催するIT復興支援ボランティアを通じ、9月後半に岩手県大船渡市に訪れた。 ITを使ってサポートできないかという切り口で活動が始まり仮設住宅にPCやプリンターを持参し、住民の方のサポートをするというのが主旨である。

 

はじめは自分たちになにができるのかを考えた。インターネットと印刷の環境だけ整っている状態で、ニーズが何なのかもわからないまま仮設住宅地域の集会所にスペースを借りて、活動していた。僕らができたことは、調べ物をしたり、名刺を作りなおして印刷したり、カメラで写真をとって差し上げたりすることだった。飲食店をオープンする方のメニューシート作りもお手伝いさせていただいたりと、どれをとってもささいなことだった。

 

瓦礫撤去作業とは違い、ほとんど被災地の方とのコミュニケーションの時間だった。現地の方々とお話ししていく中で、仮設住宅地域の規模、地方自治体の仮設住宅振り分け、住民コミュニティーと自治の有無など、ニュースだけを追っていても理解しがたい問題がたくさんあることを実感した。震災から6ヶ月が経過し避難所から仮設住宅への移住がほぼ終わり、被災直後とは異なる暮らしをしなければいけない状況にあると話を聞いた。

 

3月11日の震災直後は安易なボランティア活動や現地入りに疑問の声が上がっていたが、現在は支援体制もしっかりしている地域が多く、サポートしている団体も数多い。 状況も変化し、ボランティアに求められるものは被災直後とは異なる。 これからのボランティアは現地でのコミュニケーションが中心となっていくものに変わっていくだろう。ニーズを聞き取りそれに対して自分のできることをする。臨機応変かつ柔軟な姿勢のボランティアがいま求められているのかもしれない。

 

早稲田大学/田口

他人ごとのボランティア集団 ー 東北・気が遠くなる現実

 5月3日、私は福島県いわき市豊間という地域にボランティアに行ってきました。この地域にボランティアが入るのは初めてで、原発の30キロ圏内の近くということもあり、この地域は地震、津波の被害をもろに受けていました。現地入りした時に目に入って来た情報は、どれも非現実すぎて目を疑うような状況でした。
 足元に倒れている信号機。田んぼの真ん中にある家。中身が空になった家。歩いていた場所が本来は床ではなく壁。自宅らしき場所の周りから備品を拾う人々。どれもテレビの画面で観たことはありましたが、断面ではなく、全てを直接肌で感じたことで、言葉を失いました。そして、他人事だった自分にも気付かされました。被災地に入ってからは他人事ではなくなりました。
 他人事のボランティア集団によって、被災した地域がボランティアの受け入れを拒否しているという事態が起こっています。他人事で来たボランティアの方々はあちらこちらと写真を撮って帰り、壊れた家の周りに散乱する備品をガレキと認識して、周りを気にすることなく足元のものを踏みながら歩いて行くそうです。このような人たちが、ボランティアが本来入るべき地域を無くしているそうです。同じ気持ちになれとは言いませんが、少し考えればわかることです。自分が被災したら、どう思うのか、どう感じるのか。そこを考えてから行動すべきです。
 現地では、「できることをできる範囲でやる」ということが求められました。自分のやりたいことは通用しません。自分から何かをするというよりは、むしろ言われたことをする。現地の人が求めていることが最優先され、そこにどう柔軟に対応することができるかということが求められました。
 僕は工場の周りの作業に取り組みましたが、全体を見ると、気が遠くなりました。正直な感想です。何から手をつけていいのか、いつになったら終わるのか、わかりませんでした。しかし、そんなことを考えていても気が遠くなるだけで、何も解決しません。わからないなりに、作業をこなしていきました。5時間後には、工場の周りの屋根や壁の破片は全て片付きました。工場の隣の溝に詰まっていた泥も、その日の内には全て掃き出すことができました。工場の横に津波に負けずに咲いている黄色い水仙を見つけました。その生命力は被災した地域の人々、ボランティアで行った人たちの目にも映り、心を和ませてくれました。目の前のことを一つ、また一つ。その積み重ねが復興に一歩、また一歩近づくと感じられたボランティアでした。

■記事■
 慶應義塾大学/島

己に恥じぬ 生き方を問う

 私たちの目は近視になった。先の見えない未来であるのに、そこには確実に現在の延長線が続いていくことを信じている。何か大きな変化が起こることなど想像しないし、また望んでもいない。それがゆえ、すっかり遠くを見る目を失ってしまった。近視でもあれば十分というわけだ。
 対して共産主義を信じることのできた時代の若者は、遠視だったのではないかと思われる。今現在の状況を把握する前に遠き未来へと目を向けた。社会変革を志すに当たり、時代遅れな左翼思想に一身を預けたのが、時代を読み切れていなかった証左である。彼らは足下の石に気付けずに、躓いて倒れた。
 どうしてこうも極端なのか。僕は両者共に対して懐疑心を抱かずにはいられない。現実を諦観するではなく、しかと見据えつつ、それでもなお理想を追い求められないだろうか。
 私たち、つまり現代の若者は、道端の電柱に頭をゴツンとぶつける前に、目の矯正をした方が良い。躓いた過去は救えないが、今を変えていくことならできる。電柱に気付く為の対策は出来る。近視には然るべき凸レンズの入った眼鏡が必要だ。その眼鏡とは、理想を胸に抱けども、目の前を見ようとしなかった四十年前の全共闘世代を知ることだと考える。
 そうして僕は、夢見ない現代の若者と、全共闘の若者の邂逅から始まる劇を作った。両者の出会いには確実に意義が見出せるはずだ。演劇という生身同士のぶつかり合いだからこそ、思想の対立軸がより鮮明に浮き彫りになってくる。今夏、その作品を上演する。
 私たちは生きている限り、闘い続けなくてはならないのだ。そのためには現実と理想への試行錯誤を止めてはならない。
 いつの日かその必死の生を振り返り、己に恥じぬ生き方であっただろうか自問自答する。その時に、ある理想地点へと到達することができていれば、それでいい。理想に行き着くため、今はただ懸命に今を生き抜くことだ。

■記事■
 慶應義塾大学/酒井

マンガサミット•チャリティに協力 ー 私たちの、小さな、小さな一歩

 「第四小学校に初めてロックが鳴り響いた。でも、何も変わらなかった」20世紀少年(浦沢直樹作)の中で学校に嫌気がさした主人公が放送委員を拘束してロックを流した後学校の屋上で抱いた感想だ。しかし実際には主人公の知らない所で大きな変化に加担していた。
 世の中は複雑である。様々な因子が絡み合って次の事象が起こる。「ああすれば、こうなる」が通用するのは人間が作った世界だけだ(養老孟司「いちばん大事なこと」)。
 2011年4月28日〜5月1日の4日間、六本木ヒルズイベントスペースumuにて「マンガサミット」が開催された。泉谷しげるの呼びかけにより浦沢直樹(20世紀少年ほか)、福本伸行(賭博黙示録カイジほか)、星野泰視(哲也―雀聖と呼ばれた男―ほか)などが集い東日本で起きた大規模地震の大きな被害者である東北へエールを送った。私達「くりくら。」のメンバーは会場のエールが被災地へ届くようスタッフとして参加し、会場の参加者のメッセージを集めた。
 泉谷達は原発の危険を訴えた「サマータイムブルース」(RCサクセション)、反戦歌として自衛隊を皮肉った「自衛隊に入ろう」(高田渡)などの強烈なプロテストソングを始め、滅亡に瀕している人類の心の支えとなった「ボブ・レノン」(20世紀少年)などで参加者に訴えかけた、「俺達が頑張ろう!」「立ち上がろう!」と。会場は盛り上がり、多くのメッセージが集められ、募金箱もいっぱいになった。そしてイベントが終わると皆元の生活に帰って行った。
 この日のイベントは一見何も変えていない様に見える。一過性のものに。マンガサミットが終わっても「何も変わらなかった」しかし会場に居た人の心のどこかに何か少しでも残っていれば、ずっと先には大きな変化に続いているかも知れない。(敬称略)

■記事■
 東京大学/小谷